猫の毛玉 映画館

映画感想文を体内で丸めて吐き出す。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

PageTop

ナチョ・リブレ 覆面の神様

tag コメディ

『ナチョ・リブレ 覆面の神様』 NACHO LIBRE
2006年・アメリカ

存在そのものがギャグなジャック・ブラック(JB)の新作。
体いっぱいのおかしみを湛えて、その腹は揺れる。
ナチョ・リブレ 覆面の神様 スペシャル・コレクターズ・エディションナチョ・リブレ 覆面の神様
スペシャル・コレクターズ・エディション

(2007/03/23)
ジャック・ブラック
アナ・デ・ラ・レゲラ

どんな映画?


JBといえばやりたい放題、縦横無尽に飛び回ってニンマリしながら親指でも立てて仁王立ち、といった雰囲気のオレ様キャラが最高である。
『スクール・オブ・ロック』THE SCHOOL OF ROCKの弾けっぷりは1周回ってむしろ清々しいくらいの暑苦しさだった。

そんなわけで『ナチョ・リブレ』も、『スクール・オブ・ロック』系のオレ様コメディ。
今作のほうが幾らか抑え目かしら、といった感じでした。
もうJBの顔芸だけで笑えるので、ナンセンスなギャグが好きなら爆笑間違いなし。

舞台はメキシコ。
メキシコ独特のプロレスであるルチャ・リブレでお金を稼いで、
孤児院の子供たちに美味しいものを食べさせたいと奮闘する、自らも孤児院で育った神父ナチョのお話。
(モデルは実在のルチャドール・暴風神父)
孤児院というのは修道院(もちろんカトリック)であって、ナチョはそこのお料理係。

ナチョの両親のエピソード(お互いを改宗させようとして恋に落ちて結婚)といい、
ナチョ本人がシスターに恋することといい、
「満足しているとも。一生独りだけど。」という台詞といい、カトリックとしては少し不敬な映画かもしれない。
(メキシコは人口の約90%がカトリック教徒と言われる)

カトリックは、神父もシスターも神に仕える者として結婚はしないのが普通。
つまり一種の聖別なんだろう。
(プロテスタントにはそのような考え方はないので、牧師の結婚に制限はない)
私はカトリック的文化が好き。
古い木造の薄暗い教会や、マリア像、ステンドグラス、絵画に彫刻…。宗教が芸術として昇華している。
だけども、神とのつながりの考え方ではプロテスタントのほうが好きだ。すなわち、神と人間は直接つながっている。
(カトリックでは、神と人間との仲介者として法王や神父・シスター、教会が存在する)
と、このあたりは無宗教の人間のたわ言と聞き流してくれて結構です。

閑話休題。
ルチャ・リブレは罪、とナチョはシスターに言われます。
「ええ、そうです。でも…なぜ?」
応えてシスター。
「それはVanityだからです。力を見せ付ける虚栄心だからです。」(うろ覚え)

ナチョは虚栄心にとり付かれていた自分を戒め、原点に帰って子供たちのために闘う決意をします。
Vanityからっぽ虚空むなしさ、そして虚栄心。
この虚栄心の塊として出てくるルチャドール(いわば悪役)の俗っぽさもアカラサマで、
この映画のメインテーマがそこにある、というのは容易にわかります。
にほんブログ村 映画ブログへ
虚栄心についての考察
私は虚栄心・みえっぱりを悪いとは思いません。
ただ自分の満足感の中にだけ浸っていては、決してプラスには働かないけれど。
そこから出てくるものが、プラスの方向に働くことはよくあることだと思っているから。

言ってみれば、「正義」なんてのも虚栄心からきて(虚栄心を経て)いるかもしれない。
(自分の)正義を通すためになんちゃら。
何が「正義」かは人によってまったく違う。つまりは自分の思い込みに過ぎません。
それを満たすための行動を示すということは、そこに確かなものがあるわけでもないのに正しい自己を主張している虚栄心、と言えなくもないのではないか。
他者に見せびらかす、認めさせるという行為が虚栄心を満たすのだから、自分の正義を他者に認めさせる、という行為は虚栄心を満たしているのと、そう違いはないのではないか。
それが同時に誰かの役に立ったり誰かを救ったりすると「正義」とか「善行」ということになる。

だから、虚栄心・みえっぱりは悪いばかりのものではない。
それに、自分を律したり、言い訳が欲しかったり、そんな時に役立つこともある。
生きていくうえで多少のみえっぱりは必要なスパイスだ。
(過度のみえっぱりはみっともないだけだが)

そして、
自己満足を自己満足に終わらせず、他者にみせびらかす・認めさせるのが虚栄心ならば、
自己満足を自己満足に留まらせず、他者を巻き込みハッピーを作り出すのがJB的自己満足だろう。
ポイントは「自己と他者のかかわり」。

悪役ルチャドールは虚栄心の権化であり、自己の枠内から出てこない。
興味・関心の一切が自己に向いているのだ。
ナチョはそういう虚栄心に誘惑されつつも、結局は自分の周りの世界と深く関わろうとする。
やりたいことをしてハッピーだし、それでみんながハッピーなら自分がもっとハッピー。
そういう自己満足で好きな人たちと繋がっている。(独りの限界を知っているのだろう)

正義や善行、またはボランティア活動や、より日常に存在する「思いやり」や「やさしさ」。
そこには先ず自分の思い・熱意・自己満足が在る。
だからこそJBはあんなに楽しそうだし、オレ様であっても「純粋な善意」を忘れないからイヤミではない。
「やりたいから、やっている。やらずにはいられないから、やっている。」
でも、それが何かの誰かの役に立つんなら、もっともっと頑張れる。
あるいは、誰かのために何かをしたいから、と自分が思うから、その自分の気持ちを納得させるために行動している。
JBの映画を観ると、思い出させられる。
先ずは自分が楽しまなくちゃね、と。そしてそんな自己満足を自覚しながら、善意の心を忘れずにいることが大事だと。

そういえば、カトリック的芸術なんて虚栄心から生じたようなものではないか。
作る側も作らせる側も、そこには虚栄心がある。権力の誇示、自己の作品の誇示。
見る者を圧倒することで尊厳を保つ。(それは寄付金の額と無関係ではない)
虚栄心が、芸術に昇華した意味で、プラスに働いたひとつの良い例だと思えます。

でも、どれだけ自分が神を崇めているか、本当はそれは自分だけが知っていれば良いことなのです。

今日の毛玉
笑いたい人に。
とにかく絵面だけで大笑いできるから!
いろいろ長々と書いたけども、コメディだし!

関連作品のようなもの
グラン・マスクの男マスク繋がりの映画。
グラン・マスクの男
ジャン・レノ

華麗なる戦士 ルチャ・リブレガイド―入門→上級まで全情報徹底導入 (Miki mook)

ルチャ・リブレメキシカンプロレス 単行本。

スクール・オブ・ロック スペシャル・コレクターズ・エディションジャック・ブラック独壇場映画。
スクール・オブ・ロック スペシャル・コレクターズ・エディション
ジャック・ブラック
テネイシャスDJBのミリオンセラー・アルバム。CD。
テネイシャスD
テネイシャス D
マスクの形をしたコインボックス(レッド)マスクの形をしたコインボックス(レッド)

毛玉内関連記事:テネイシャスD 運命のピックをさがせ!
           僕らのミライへ逆回転
           天使と悪魔 【科学の知 神の御業を 裏付ける】
           しんぼる 【あれやこれ 命の起源も こんなもん】

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する
 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。